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Pencil ✒︎ Pencil

買ったもの、考えたこと、勉強のこととか。

感想文5 瞑想について

ここしばらく瞑想、座禅に凝っているといったことを以前にも書きました。

 

それは今も変わらないのですが、今日更新された例のサイトで瞑想に関する質問が載っていたのを読んで、自分も似たような疑問が湧いたことを思い出しました。 なんだかみんな同じことを考えるもんなのですね。

今の所、僕の中では「とりあえず無自覚でなければ良い」という結論に至ったことで満足しています。

 

僕は座禅・瞑想を行う時には、自分の頭に無意識にガガーッと流れる思考、観念、感覚、イメージに対して、意識を向けることを念頭に置いています。

 

それは、睡眠時、夢を見ていることに無自覚な状態から、朝起きてあれは夢だったのかと認識することに近いです。

 

瞑想を始めてばかりの頃僕は、思考に意識を向けると言われて「あ、嫌な思考しているな。止まれ止まれ止まれ」と脳内でいちいち言葉にして、それも嫌なことに意識を向けていたのですが、 言葉と自分が一体化していることに無自覚であることに気がついてからは、「心の目(意識)を向けるだけ」というイメージに姿勢を変えましたねぇ。(「思考に意識が当たっている」という表現はそういう僕の失敗に近いことだと解釈したのだけれど)

 

僕の場合は、 向けるべきではない雑念に抵抗ではなく、「流れくるものは仕方がない」って感じで受容とか開き直りに近いスタンスで意識を向け続けていると、次第にそういったものが落ち着いてくるので、そのあとは瞼の裏の暗闇・静寂へ意識を注ぎながら、その心地よさに浸ります。

 

落ち着いてくるというのは、なんでか知らないけど、思考・雑念の流れに意識を向けることで、なぜかストッパーがかかる感じ。

それも100から0になるのではなく、100、75、50、30、10、1、1、1、1、1、1、・・・って感じに沈静化していき、頭の中が「シン・・・」とした静寂に包まれる。 雪が降りつもってヤケに夜が静かな、あんな感じ。 

気を抜くとすぐに雑念で溢れた頭の中で意識が溺れてしまいますけども。 

 

話が逸れますが、意識を向けて沈静化していくのは、無意識に比べ、顕在意識が持つ処理できる思考の許容量が小さいことが原因なのではないかと個人的に考えています。

 

 

 

たまに、意識を注ぐ主体(自分)を意識することで、その意識をする自分をさらに意識して、さらにそれは・・・なんて己の尻尾を追いかける犬のような無限ループに落ちそうになりますが、アホらしいし別に無意識な状態を解除するために座禅・瞑想をしているので別にそんなことはどうでも良いやと思っています。

 

 

意識を何かしらに向けることに自覚的であることを折りに触れて実践できれば、それは目を瞑ろうが、鼻ほじっていようがそこそこの及第点に辿り着いているんだと思います。

 

そう向ける対象が、思考であろうが、感覚であろうが。

 

どうやらそのような日常の中に気づきを入れていくような瞑想の仕方もあるようなのですが、僕は瞑想をする時間が好きなのでゆっくり目を閉じる時間を取るようにしています

 

あとドウデモイイことですけども瞑想と座禅という言葉は本来は似たような意味を持ったものだと思うのですが、僕は混乱を避けるために目的に応じて言葉を使い分けています。

 

座禅は思考に意識を注いで沈静化することが目的

瞑想は座禅を組み、沈静化された頭に新しく自分が望む思考を注いで考えをめぐらすことが目的

 

座禅でとっ散らかった作業机を片付けて、瞑想でスッキリした机に新しく広げたノートへ好きな絵を描いて行くような。 

 

不思議と、一度瞑想しながら好きな思考を描くことを繰り返していくと、 枝葉が伸びるように望むイメージが湧いてくるようになるんですよねー。 それも無意識に。 

 

潜在意識ちゃんねるとかいうやつは読んだことがないので、文脈から察するしかないのですが、「頭で考えるな。潜在意識に委ねろ」というのは今までの僕の経験から推測するに

 

座禅・瞑想を習慣化することを通して、 頭の中や体に反射的に湧いてくる望まない思考・雑念・感覚・感情に無自覚に捉われることを減らし、頭が勝手に生み出す望まないことに右往左往しなくなること経て、 本来人間が持つ野生の勘・センスみたいなものを働きやすくなること

 

を目指しているのではないかと。

 

実際、上の意味での座禅・瞑想をやっていると、昨日の自分と今日の自分が違うような感覚になることがあって、それは自分が自動的にいつもと違うことをやっているといったことにふと気がついたりすると特に感じたりするんですけど、そういった行動の変化が後に振り返ってみて変化のキッカケだったりします。